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第2回テーマ:子育て・専業主婦は「無職」と呼ばれる国で生きること②

「主婦=無職という国」に生きていることをいやっというほど思い知らされた夏子さん。さらには「無職が長い=今、必要なことができない人」という評価をされることを経験し、さらに愕然とするばかり。そして、「昔取った杵柄」という言葉を頼りに就職活動を続けた。

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昔取った杵柄にすがる

夏子さんの「昔取った杵柄」は、やはり経理の仕事。求人サイトで経理事務の仕事を探す日々。それなりに求人数はあるが、フルタイム勤務かつ通勤1時間圏内、となるとなかなか見つからず、結局、まずはパートでもよいから働こう、と決心して電設工事の会社に勤務。毎日8:30~14:30までの勤務では、収入が足りない。それでも、「へそくり」と家賃だけはご主人が支払ってくれている、という甘えもあった。何よりも、子どもをいきなり学童に預けることへの抵抗もあったらしい。

私はしあわせマークにしがみつく

夏子さんにとって専業主婦であることは「私はしあわせ」というマークのように思えていたのだ。そのマークを取り外してしまうと、自分は何者なのかわからなくなると思い込んでいた。14:30までの勤務時間は、なんとなく「今はこれでよい」と思えたのだろう。

ところが、実際に勤務してみると、事務所とは言っても作業着姿の男性が大勢出入りし、騒がしいところだった。のんびりと穏やかに毎日を過ごしていた夏子さんにとって、馴染むことが難しい空気があった。昼休みにしても、職場にある「賄い」で食べることになり、気を抜くことができなかった。

しかも仕事で扱う伝票は、小口支払いの清算業務がほとんどで、毎日、手書きの読み取れないような伝票を扱う仕事のみだった。決して暇ではないが、経理として培ってきた能力なんて、まったく活かすことができない仕事。最初は「こんな仕事、経理経験なんてなくたってできるじゃない!」と不満だらけだった。だが次第に、「こんな仕事をしたかったわけじゃない」と思い始めてしまい、元気がなくなるばかりだった。

自分の本意を疑う

「今はこれでいい」と選んだのは自分だ。そのことが大きな誤りだったと気づき始めた。
自分は何のために働くのか、その大事なことを見失っていた。というよりは、気持ちはいい加減なために、何も考えてなかった、というのが現実だ。自分の本意、真意が空っぽであることに情けなくなった。結局、その電設会社を2カ月で辞めた。

辞めるまでに次の勤務先を決めておけばよかったのだが、夏子さんは躊躇していた。経理経験はもしかしたら、働くための大きな武器にはならないのでは?と。確かに、経理と言っても帳簿関係のことは、ほとんど会計システムで完了できる時代。ましてや、帳簿は得意だが、決算などの処理はできない。知識はあっても責任をもってしたことはない。やはり、これじゃ、武器にできない。働くための準備が足りなかったことに気づいた。

働くことの準備をはじめる

夏子さんは、働くことの準備をすることが必要だと感じたそうだ。準備にはいろいろとあるが、専業主婦=無職を10年以上していたので、社会の変化を体感していないことが一番の問題だった。しかも、「入力業務はできるが、作表やグラフ作成はできない」という現実。情けない気持ちが2乗くらいになった気持ちだ。

子どものママ友から、進学塾見学会の誘いの連絡が来た。迷った。見栄を張ってでも参加したい、そう思った。だが、理由をつけて断った。今自分に大事なのは、塾に行くだけの生活費を稼ぐことだ。少しずつ、働くことから、稼ぐことに意識が変わっていった。娘はそんな母親に「ママ、なんだか最近、忙しそうだね。カッコいいよ」とにっこり。娘はよく見ている・・・・。稼いで、自分の力で、子どもを育てていく、という強い想いがわきあがってきた。

地元の社会人学習講座でエクセルやパワーポイントの使い方を学んだ。ついでにビジネス法務検定にも挑むことにした。いろいろと社会のことを勉強し始めたら、ビジネス法務を知っていることは自分の役に立つと思ったのだそうだ。

動き出した心

このころから夏子さんは朝5時起床生活に変えた。理由は、働く体力をつけるためにランニングを始めたのだ。その後7時30分には近くのスーパーの商品だしのパートに。
働くリズムをつくりながら、勉強を続けた。迷いはなかった。主婦=無職の10年に付けた心と体の贅肉を取除きたい、その想いで生活を変えた。今までと同じ生活感では、何も変わらない。夏子さんの心は動き出した。

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